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日本人が学ぶのはアメリカ英語?イギリス英語?英語教育の歴史から考えてみた

 お久しぶりです。センター試験まであと1年らしくて震えてます。学校で日本の英語教育の変遷についてのレポートを書いたのでそれをもとにした記事をここに書いてみます。

 

 

 

はじめに

 日本という国は開国から明治維新にかけて様々な文化を取り入れてきたという歴史上、今現在では多種多様な外国の文化や言葉が街に溢れている。電車を利用すれば英語放送も同時に流れてくるし、テレビをつければ韓国のアイドルが歌っていて、都会では中国人の店員が中国人向けに中国語で客寄せをやっている。

 私たちが学校で習う・もしくは習った外国語といえば、英語である。その程度については世代によって多少の違いこそあるものの、英語圏の人に突然話しかけられたら「英語がわからないので」と断ることくらいなら誰にでも出来るだろう。出来てほしい。だが、一口に”英語”とは言っても多くの種類がある。もっともポピュラーだと私たちが信じているアメリカ英語をはじめ、本家本元のイギリス英語、また旧植民地であったことに由来するインド英語やフィリピン英語など、その種類は英語を公用語としている国の数だけ存在する。これらの”英語”を私たちはその違いなど気にすることなく学んできた。しかし実際にそれらを母語として使っている人たちにとっては意味さえ全く通らなくなるほどの違いを生むことがあるのである。一度は公用語さえ英語になりかけたこともある我が国における英語教育の歴史を通じて、日本と”英語”について考えてみたい。

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明治時代

 日本において本格的(言い換えれば、公的)に英語が流入してきたのは明治初期、それまでにも開国の時点以降から多くの外国人が来日したことに伴って英語教育のために英字新聞が発行されたり書物の英訳が行われたりしていたという。そして、様々な西洋文化と共に西洋式の学校教育制度が伝わったことで学校制度が整うと、小学校において英語教育が行われるようになった。このような教育の西洋化に活躍した人物が初代文部大臣の森有礼であった。しかしその森有礼は英語教育を推進しようとしすぎたために日本語を外国語とするという国語外国語化論を唱えたために国粋主義者に暗殺される結果となってしまった。何事も極端はよくない。森の暗殺以降英語教育の規模はだんだんと小さくなってしまい、英語教育は小学校では行われなくなり高等学校のみでの実施となっていった。

 庶民レベルにおいては文明開化による衣食住の変化に伴って「カーテン」「ベッド」などの語が普及したという例があった。

大正時代から昭和初期

 この頃の英語教育は、「英語教授」と呼ばれていた。日清戦争から第一次大戦まで、初めて外国との近代戦を経験した日本はその国際的地位を高め、海外貿易の進展によって英語教育の必要性をさらに痛感した。これを受けて英語科の授業時間は増えたもののその成果は思うようには表れず、この頃には英語存廃論がたびたび起こった。1935年頃を境に英語教育に対する批判が高まり、太平洋戦争の開戦に伴い英語が「敵性語」となったことで極度に圧迫され、中には英語科を全廃する学校もあったほどだったという。一方で、大衆文化が盛んになる過程においては英語由来の言葉が多く発生し市民の間に浸透していった。

 また、旧日本海軍の諜報員養成所などでは、その目的から英語の学習や教育は奨励・推進された。

連合国占領下の時代

 敗戦に伴い降伏文書に調印した直後、連合国は日本に対して占領期間の公用語を英語とするという項目を含む布告を突きつけ翌朝10時までに国民に公布するよう命じた。しかしこれはポツダム宣言の内容に反するものであったため、外務省の交渉によって撤回された。

 またその後アメリカの教育視察団が来日し、敗戦国である日本は識字率が低いのだろうという差別意識による推論から日本語のローマ字化計画を立てた。事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果が出た。これはアメリカをはるかに超えるだけでなく、当時の世界水準で見てもかなり高い識字率であったため、これに困ったGHQの担当者は、調査官であった言語学者柴田武に「調査結果を捏造してくれ」と迫った。が、事実を捏造することはできないと柴田は拒否した。この一件があってから、日本語のローマ字化計画は立ち消えとなった。

 そして、日本がフィリピンなどと同じようにアメリカの占領下にあったにも関わらず公用語としての日本語が失われなかった理由として、アメリカよりも高い識字率と、当時の日本人がアメリカ人にとって勤勉に見られていたという点が挙げられる。前述したように高い水準の識字率を持っていた日本人から日本語を奪うことは不可能だとアメリカ側が悟ったということ、また、アメリカに移り住んできた日本人が少ない給料でコツコツ働いて職を奪われた経験のあるアメリカ人にとって日本人を英語の話せる民族にすることは恐るべきことであったことなどがそうである。

 こうして敗戦国・日本の母語である日本語は失われることなく現在もこうして日本語でこの文章が書ける社会が残ったのである。

“英語”は”イギリス語”なのか?

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 「英語」という単語はその字面から判断するにイギリスの言葉という意味である。が、多くの日本人が(子ども時代などに)抱くイメージとしては「英語はアメリカ人が話しているやつだ」というものが多いであろう。日本政府観光局(JNTO)の発表によれば、2017年の訪日外国人客のうち最も多い英語圏人は5位のアメリカ人であるし、沖縄県まで行かずとも東京の横田や東京からほど近い神奈川県の横須賀には米軍基地がある。日本人にとって、アメリカ人はイギリス人よりは馴染み深い民族といえる。そして国際的に見ても、社会で幅を利かせている超大国アメリカの背の高くて彫りの深い人たちが話しているのが英語なのだから、そのイメージが定着するのは容易なことだろう。

 しかしアメリカという国はご存知の通り、とても大ざっぱに言うと元はイギリス人の国である。英語を話すイギリス人の移民によってアメリカに英語が伝わり、1600年代以降、400年の時をイギリス英語とは離れた大陸でイントネーションや単語の綴りなど様々な面で変化しながら使われ続けてきた。

 このことから分かる通り現在アメリカにおいて話される「アメリカ英語」は、英語という言語の中では派生語だということがわかる。そして、世界において英語を公用語としている79の国と地域のうち、多くはかつてイギリス帝国の植民地であったことからイギリス英語を公用語としている。実はアメリカ英語は話されている国の数などから考えると、マイナーなのである。

 

 「英語は、イギリス語なのか?」 - 非常に難しい問いである。もちろん起源や英語史の観点から考えるとイギリス語と言えないこともないが、アメリカ英語の世界的地位やインド英語の存在感を鑑みると一概にそうであるとは言えない。前述の通り、英語を公用語とする国と地域は79あって、話者数は3億3500万人。そのうちイギリス人は6000万人だ。

 確かに英語はイングランド由来の言語ではあるが、戦前のイギリス帝国が広く世界に英語を広めてその影響力が強まっていった歴史を見たとき、英語はろうそくの火を移していくように世界の多くの国々に広がっていき、それぞれ個々に特徴を持って変化していった独立した一言語と言えないだろうか。

 英語は、それを話す国の数だけ存在するものであると私は思う。

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日本人が話すのはどの英語か?

 日本人が初めて広く英語に触れた明治初期ごろ、世界の大国といえば”グレートブリテン”ことイギリスであった。そして大正時代に締結した日英同盟協約にも分かる通り日本はイギリスと密接な関係を築いており、日本の英語教育においてもイギリス式の英語を使用していたという。戦前の日本ではイギリス英語で英語教育が行われていたのである。

 対して、アメリカが現在のような大国となったのは第二次世界大戦を経てのことであった。日本はそのアメリカに終戦直後から数年間占領を受けていたことから1947年にアメリカ式英語による英語の暫定教科書やアメリカの白人文化を紹介する教科書が作られて以降、日本人は教育現場をはじめ様々な場所でアメリカ英語に触れる機会が多くなっていった。戦後日本の英語教育はアメリカ英語に転換していった。

 現在の日本では英語教育が最活発化している傾向が見られ、中学校においても英語で授業を行うといった指針が出来るなどその傾向は強まりを見せている。来る2020年の東京オリンピックに向けても国内での多言語化が進められるのは確実で、日本人はより一層英語に触れなければならない機会が増えていくだろう。

 

 前述の通り、英語の方言は国連総会などでも話されるように確実にその地位を上げてきている。そして、アジア各国の経済発展も今ではその様子が顕著に表れている。今、日本人が英語で話すのはアメリカ人・イギリス人の英語だけではない。世界の公用語としての英語なのである。重要なのは、アメリカ英語なのかイギリス英語なのかなどというそんな小さな話ではなく、英語は、もっと広い世界を相手に大きく強くその力を持ち始めているということだ。

 日本人の9割が生涯英語を使わなくても生きていくことができると言われているこの時代にあったとしても、目の前に日本のような小さな島国とは比べ物にならない大きな大きな世界が広がっているのに、そこから目を背けることは、非常にもったいないことではないだろうか。















参考文献

・堀田隆一 英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史 研究社

日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館